2011年5月18日水曜日

母系社会的リーダシップ:共に治める

(2011年5月のクリス・バルトンのメッセージより。音声メッセージリンク

ともに治める 

創世記1章
神がアダムを作ったが、ヘブル語でアダムーは人という意味で、男と女という意味で、男(アダム)女(エバ)の両方に「治めよ」と言ったので、男女が共に、権威を持ち、治める使命を受けた。

創世記2章 

5日間の創造では、神が言葉で宣言する事ですべてを創造される、しかし動物とアダムを土地のチリから造り、アダムには神の息/魂を注ぐ。
神がアダムに「一人でいる事は良くない、助けてを作ろう」といった時に「神ご自身がアダムと関係を作るように、接する事ができる人」を指していた。

神が庭に来ていた時に、アダムは孤独を感じていなかったが、神が去った後は孤独を感じた。孤独は心の状態であり、外的な環境ではない事は判るでしょう。
「神がアダムに接するように関係を作る事ができ、アダムが神を愛するように愛する事がきるように」としてエバを作った。

アダムは目を覚まし、預言的宣言をして神と共に行った創造を終えた。
私の骨からの骨、私の肉からの肉、これを女と名付けよう。これは男から取られたのだから。それゆえ男はとの父母を離れ、妻と結びあい、二人は一体となるのである」この時点で彼らは両親を持ってないです、ですからこれは預言的な宣言です。アダムが追い求めるもので、エバが求められるものである事を預言してこの創造が終わります。

創世記3章 
蛇への呪いー悪魔と女の間に敵意をおく、子孫の間にも敵意をおく、
女への呪いー苦しんで子を産むこと、夫が女を支配する。
男への呪いー苦しんで土地と戦って生きなければならない。

ガラテア3章13節にあるように キリストは「私達を律法の呪いからあがないだして下さいました」。いばらの冠を付けられたが、いばらは呪いの象徴でもある。

ヘブル語で「助け手」は19回聖書ででてくるが、16回が神ご自身を現し、3回はエバの事を現しています。助け手が必要だといわれた時にそれは「私のような人があなたには必要です」と言ったのです。堕落した時から、男が女を支配するようになったが、それまでは「共に治めるもの」であった。

聖書の読み方は文脈的であるべきです。
聖書には「全人類の為に書かれたストーリー」と「特定の人、状況に対して書かれた手紙」があります。
創世記や福音書などは前者言えるでしょう、そして使徒書簡が後者と言えます。

多くのクリスチャンは知っていると思いますが、女性が教会に入って来たら「唖」になる事は無いでしょう。
しかし、多くの教会はパウロの書簡を使い、女性に権威を与えない用にしています。例えば「女性をが教会で権威を持つ事は許さない、教える事は許さない」ならば、
「子供の教会では教えられる」ならば、パウロの書簡では「男性に教えてはならない」と書いていないのでその時点で聖書の教えを破っている事になるでしょう。
聖書の解釈を個人的にしているようにはならないのでしょうか?
もし、パウロが書いた手紙の宛先の教会と全く同じ状況があるなら、適応できるかもしれませんが。。

私のポイントはこれらのパウロの書簡が全ての教会に全人類が適用する為に書かれたのでなく、特定の場所と事柄に書かれた事であって、もし今のあなたの教会に全く同じ問題があるならば、それで適切かもしれませんが、パウロが手紙を書いたのは今の私達の教会にではなく、コリントの教会に対しての物です。例えば、コリントの手紙、新しい契約の人として、また旧約ではレビ記がありますが この所からは神が特定の事柄にどのように指示を与えるのかを見る事ができます。
特定の事柄に書かれたアドバイス、カウンセリングを全ての状況の上に適応しても、状況をあがなう事ができるのでしょうか?

例えば、離婚に関してですが、私が既に離婚済で、悔い改め、心の砕かれた人に対して、
私はこういうアドバイスをするでしょう。姦淫の罪が許されない罪ですか?もしそうであるなら、クリスチャンを殺害して生きていた人がー偉大なる使徒パウローとされる事がおかしいと思いませんか?しかし、あなたが離婚したならあなたの人生は終わりである!となるのでしょうか? 

私達の助言があなたの人生の歴史ではなく助言はあなたの神からの運命の為です。キリストのあがないの力を取り去ってしまうならあなたはキリストの思いを持っていないのです。
私が先ほどの人にはこういうでしょう「離婚は許されない罪ではなく、教会の中で50%は離婚をしている人がいます。神はあがないの神です、殺害者であったパウロをあがなった神はあなたをもあがなう事ができます」

そして、次の日にはこれから離婚をするつもりだと言う人に会うでしょう、そして私は全く違うアドバイスをするでしょう。「結婚は永遠です、あなたは契約をしています、モーセは離婚の証書を与えましたといっても、それはあなた方の心の固さの為です。。」と。(イエスは彼の暮らした文化、女性が物のように、車のように扱われた時代でこの事を言っているのです。イエスがパリサイ人と弟子達にこの事を言った時に「それなら結婚しない方がましです」と彼らはいいますがイエスはそのような分かに対して「契約」を語り思い起こさせるのです。)

ここで私は二つのまったく異なる状況に「主のあがないの力の言葉」を語っているのです。「神はあがないの神なので、結婚を回復し、もい一度愛し合うことができる、使徒パウロは殺人者であったが、彼はあがなわれたでしょう」私は同じ言葉を違う目的の為に使う事ができるのです。私の言葉はどちらも真実なのです。その状況が道徳的にどうだと言っているのではないのです。私達は御言葉を特定の状況に対して適応します、私は悔い改めた人とそうでない人に異なる言葉を用います。

ですから、ポウロも同じ事をしているのです、状況を理解するのなら私達も同意すると思います。
パウロの書簡は全人類に向けて書かれたものではなく、特定の教会の問題に対して対処する為にか書かれた物、人々が間違った行いをしている時に、秩序からでてしまった時に指示をしています。

イエスは人類をあがなう為に死なれた。しかし、私達が聖書箇所をあがないをもたらさないように用いるならそれは失望感を作る事になり、人々の神からの運命を人の歴史に縮小する事になる、それは私達が福音のポイントを見失っていることである。人々を性別、社会的立場、年齢によって制限したり、力を奪っているならば 私達は福音のメッセージ、御国のメッセージをねじ曲げているのです。

聖書を文脈を理解して読む事をしなければ、奴隷制度を励まし、女性から力を奪うことになってしまうでしょう。
パウロがテモテに書いた手紙の「奴隷の態度」に対しての言葉から奴隷制度を保つ事が福音を守る事だと思い、クリスチャンが南北戦争を始めた事を多くの歴史家は信じています。一定の文化の中に書かれた言葉を全人類的に適用してしまう事はできません。

私達のムーブメントの中の多くの教会では、女性を教会の中で制限する事があっても、教会の外では制限しませんと言う事があります。
女性が政治やビジネスのなかでリードするのはかまわないけれども、教会のなかではさせないと。
呪いのある、世の中で女性は力を与えられ、のろいの砕かれている神の御国の中では彼女達は制限されるのでしょうか?

このような事を時には考えなければなりません。
聖書の中にある25カ所の女性に力を与える場所があります、そして3つの箇所が制限を与えると言えるでしょう。

女性に男性のように導いてもらう必要は無いのです。世が必要としているのは母親的女性的なリーダーです。憐れみや、直感があり、養育する事ができ、
社会を愛する事ができるような場所として生み出す事ができ、ケアを与える事ができる。

しかし、これは私の個人的な観察ですが、女性が教会でリードするなら、男性のように働いてしまうようですが、すでに男性はリードしているのですから、私達は女性が必要です。アダムが助け手が必要だったように、「同じ性のリーダー」ではなく「ベターハーフ/異なる半分」が必要なのです。

教会や社会のリーダーシップでは多くの場合男性がその地位を占め、ある特定の方法をもって行うリーダー像があります。
ですから、女性に対して「ここに入って来くるならば、男性のようになって下さい」と言うのです。

女性が女性らしくリードして、男性が男性らしくリードするなら戦争が少なくなると思いませんか
女性が直感的に、養育的に、ケアをしながら、母系家族のようにリードする事ができるならば、女性が自然に与えられいて、男性には無いものが用いられるでしょう。

男性も女性なしでは、私の母の逆の用で 本当の男性としてリードする事はできないでしょう。
父系家族型の働きがベストであると言いきる事もできないでしょう。

イエスが私達をあがなったとき、創世記の1章よりも高い所に私達を導いたと思います。
夕方の涼しい庭に訪れるだけでなく、庭に住まれています。
たとえば、どうでしょうか、もし女性を創世記の1章に戻して、男性と共に、治めて、一緒に導いて、心から流れるように導いて下さいと言ったならば 何を見る事ができるでしょうか?
1コリ11

神はキリストのかしらであり、男はキリストの頭であり、男は女の頭である。
神はキリストを養い育て、天において共に座らせ、共に治めさせ、全ての名に勝さる名を与えた。
キリストが男の頭ならば、男をキリストにあって高くし、女性より高く置いた、そのテストはなんですか?キリストはあなたを圧迫しましたか?それとも力を与えましたか?

エペソ5 21 互いに従いなさい、
     22 妻達よ あなた方は主に従うように自分の夫に従いなさい。
     25 夫達よ、キリストが教会を愛し、教会の為にご自身を捧げられたように、あなた方も自分の妻を愛しなさい。

まず、互いに従う事をイエスがおしえ、そして妻が「従う事」をリードする事を女性に与えている。誉れを与える事のリードは女性に与えられた。互いが従うけれども女性がリードをする。
しかし、女性は男性の為に命を捧げる事は言われていない、男性だけが女性の為に命を捧げるように命じられた。夫が妻を守るように命じられ、その価値を妻に与えている。

著:クリス・バロトン
訳:相馬伸子